elsewhere
  • HOME
  • NEWS
  • ARTISTS / CATALOG
  • CD
  • LOSSLESS
  • HD FLAC
  • Interview
  • REVIEW
    • REVIEW (030-040)
    • REVIEW (020-029)
    • REVIEW (001-019)
  • view from elsewhere (blog)
  • ABOUT
  • CONTACT

ユルク・フライ&レイニア・ファン・ハウト インタビュー
アルバム「Composer, alone」について

「レイニアとの出会いは、私の音楽にとって幸運な出来事でした。 彼の身体には音楽的な感情のわずかな動きが即座に反映され、その瞬間にそれが同時に音として現れるのです」— ユルク・フライ

「演奏中に感情を体験するというより、演奏を終えた時に初めてそこに音楽が形成されていることを発見し体験するというような、演奏中はまるで眠ったまま歩いているような感覚です」— レイニア・ファン・ハウト
Picture
​> read in english
座間裕子(座間): ユルクに質問ですが、この3枚組CDには、あなたが1990年から2024年にかけて作曲したソロピアノ作品のうち12曲が収録されています。アルバム完成後に全曲を通して聴いた際、どのような感想を抱きましたか? 過去34年間で、作曲を通して目指してきた目標がどう変化してきたと思いますか?

ユルク・フライ(フライ):このアルバムの収録曲を見ると、私の作品が時系列に入っているわけではないことに気づくと思いますが、それでも私の作品が時を経てどう変化してきたかを明確に知ることはできると思います。あえて時系列の曲順にしなかったのは、違う時代に生まれた曲同士が隣り合わせになることで、それらの間で刺激的なコントラストや対話が生まれるのが面白いと思い、また3枚のCDの1枚ずつにそれ独自の個性を持たせたいと思ったからです。
​
ちょうど良い機会ですので、私の作曲作品の時系列について簡単に触れておきたいと思います。これは一聴しても気づかないことかもしれませんが、実はアルバムの構造を明確に形作っていることです。

私が1990年頃に作曲した一連の作品は、これより初期に作曲された、調性の2音や3音の和音を用いた直感的な作品に対して反応する形で生まれたものです。現在、これらの1990年頃の作品群からは、ある種のテーマのようなものが感じ取れると思います。「Klavierstück Arrangement I, II, III」(1991年)では、同じ素材を異なる作品で異なる形で編曲し、この素材を形式的に別の位置に配置するというアイデアが採用されています。「Invention」の出発点は、J.S.バッハの2声のインヴェンションですが、このバッハの曲では各声部が明確に定義された音楽的素材に焦点を当てて作曲されています。私は1声のインヴェンションを書き、同じく明確に定義された素材を用いて作曲することを決めました。

これらの作品を経て、ヴァンデルヴァイザー・コレクティブが活動を本格化させ始めた頃、私はこうした冒険に対して完全に準備が整い、オープンな心構えで臨むことができました。「Klavierstück 1 」(1995年)は、私がヴァンデルヴァイザー・コレクティブの初期に作曲した代表作の一つです。この時期のヴァンデルヴァイザー派の音楽家達の間では、美学、作曲、社会的関連性に関する激しい議論が交わされるのが特徴的でしたが、音楽における音と沈黙の関係についても詳細に議論されていました。そして、これらの議論は、ご存知のように、言葉やテキストだけでなく、作曲においても行われました。この点で、この作品は初期のヴァンデルヴァイザーの雰囲気を非常に明確に反映していると思います。これはピアノ曲ですが、同時に新たな美学の風景と活発な議論が交わされる環境で生まれたステートメントでもあるのです。

この初期の筋金入りのヴァンデルヴァイザー期以降、物事がどのように進展していったのか、そして、この議論の激しさを可能にした作曲家たち同士の親密さが、今や徐々に広がり始めていた様子は興味深いものでした。私たちの間で異なる方向性や焦点が生まれつつあること、そしてそれがどのような形で現れているかは、このヴァンデルヴァイザー派の作曲家たちや集団の強みだと思います。作曲家同志の議論は依然として興味深いものでしたが、同時に、物事が前進していることを感じました。私の場合、作品における休止時間(沈黙の間)が次第に長くなるにつれ、芸術的な柔軟性が次第に制限される状況に追い込まれる危険に気づきました。私にとって重要な「音と沈黙」の深い経験そのものを無視せずに、どのように曲作りを続けていったらよいか。こうした問いをきっかけに、ピアノ音楽が私の作曲において重要な役割を果たす新たな道が拓かれました。このアルバムには、そうした道のりの片鱗が感じられると思います。「Klavierstück 2」から「Circular Music No. 5」へ、そして「Composer, alone」の曲へと移り変わる中で、その軌跡が垣間見えるはずです。

Picture
ユルク・フライの作品の構想やスコアが書かれた30年分を超えるスケッチブック
座間:レイニアに質問ですが、ユルクのこれら一連の作品を演奏したピアニストとして、これらの作品間の年代的な違いについて、あなたはどう感じましたか?

レイニア・ファン・ハウト(ファン・ハウト): ユルクの初期の作曲には、一種の先鋭性が見受けられます。再び一から始めるという確固たる決意、音が「音楽」と呼ばれる前に音そのものを観察し、再び聴き直し、その音がどこへ進むかを探ろうとする姿勢が感じられるのです。その後、ユルクは徹底的な忍耐力をもって、体系的に道を切り開き、その道をどこまでも辿って他の音楽的空間を探求し続けました。その音楽的空間とは、私たちが通常、音楽として体験するものに対する見方を、変えてしまうような空間を意味します

後期の作品では、彼は最初からその「空間」に直接的に入り込んでいったように思われます。彼は誘うような空っぽの空間に身を置き、そこに音を放つことでそこに潜在しているものを照らし出したり、見つけたり、発見したりして、あるいは薄い空気の中から音を生み出したりします。時には、彼は過去の作品の音の記憶を呼び起こし、徐々にそれらを取り戻し、歴史から調和を取り戻していくような感覚もあります。

Picture
ユルク・フライ「Composer, alone (1)」の譜面1ページ目
座間:ユルク、「Composer, alone (1)」 と 「Composer, alone (2)」 は、2024年に制作されたあなたの最新作ですね。これらの作品に「Composer, alone」(作曲家、独り)というタイトルをつけた理由を教えていただけますか?

フライ:このタイトルは、まず何よりも、私が仕事に没頭しているときの感覚を指しています。それは、外部からの一切の要素や、あらゆる期待から解放された独立した感覚です。

その後、作品が完成した際、モーリス・ブランショの次の引用文に出会いました。

「作品は孤独である:しかし、それはそれが伝達不能であるとか、読者を欠くという意味ではない。しかし、その作品を読む者は、作品の孤独の主張の中に踏み込む。なぜなら、その作品を書く者は、その孤独のリスクに属しているからだ。」(モーリス・ブランショ:『文学空間』より、抜粋を和訳)

私はこの考えに魅了されました。これは、作曲家として、そして聴き手としての私の経験と一致する、素晴らしい洞察です。

しかし、さらに考えてみると、私にとってそれは部分的にしか真実ではないことに気づきました。あるいは、この「孤独」を全く異なる視点から捉えるより広い視点があるのかもしれないと。ブランショは思考の重さを表現していますが、私は作曲する際に「軽やかさ」を感じています。私が作曲に没頭している時は、作品の進行状況に関わらず、また進行状況がどうであれ、何か「軽い」ものがあります。そして、私にとってのこの「孤独」は、時間や自分自身との向き合い方における自由、寛大さ、独立性を意味するのだと気づきました。

そして私の印象では、「Composer, alone (1) (2)」において、この没入感の微妙な要素が常に音を通して輝きを放っていると感じます。

座間:非常に興味深い考察をありがとうございます。レイニアに質問ですが、ピアノでこれらの曲「Composer, alone (1)」と「Composer, alone (2)」を演奏した時、どのような感想を抱きましたか? ピアニストとして、これらの曲のどこに最も惹きつけられましたか?

ファン・ハウト:先ほど説明したように、これらの作品では、私は演奏しながら特定の道筋を追っているわけではなく、新しい音楽的な空間に身を置いているような感覚を覚えていました。演奏する際に、自分が何をしたいかに焦点を当てるのではなく、音から生まれるもの----音が重なり合う瞬間や沈黙する瞬間、または過去の音の記憶の痕跡と組み合わさる瞬間----に集中し、それらが行き着く先を聴き取ろうとしているという感じです。

演奏中に感情を体験するというより、演奏を終えた時に初めてそこに音楽が形成されていることを発見し体験するというような、演奏中はまるで眠ったまま歩いているような感覚です。

興味深いのは、この曲では、ユルクが素材の反復という手法を、ますます独創的で繊細な方法で取り入れているという点です。ここでは、単音の単純な反復から始まり、その体験を広げるための多様な反復形態へと発展していきます。例えば、異なる長さの部分を層重ねて、長い時間が経ってから初めて一つに融合する反復形式や、調和内の音符を仮想の軸を中心に徐々に変化させる反復、または調和やメロディが単に循環するだけでなく、螺旋のように内側や外側へ、または上下に漂うような動きを示す反復などが見られます。リズムの周期と異なる長さのハーモニック/メロディック周期の対応関係や、異なる速度のユニゾンがカノンへと発展する現象も存在します。これらの反復の多様な形態が織り成す相互作用は、非常に興味深いものです。

Picture
ユルク・フライ
座間:この曲の構成の魅力を的確に表現してくださり、ありがとうございます。私は、この「Composer, alone (1)」と「Composer, alone (2)」と並んで、この3枚組CDセットの中で、「Pianist, alone (1)」でのレイニアの演奏も際立って素晴らしいと感じます。ユルク、この曲についての感想を教えていただけますか?

フライ:この曲を書いていた時、私はピアニストが演奏に完全に没頭している姿を想像していました。そこには聴衆がいるかもしれないが、それは関係ありません。しかし、異なるピアニストによる多くの演奏を聴いてきて、それは作品の要素の一部に過ぎないことがわかってきました。観客の前で演奏する際に、演奏者には数多くの問いが浮かびます。これは、一人で演奏する時とは異なります。そして、これらの問いのいくつかについての答えは、演奏中に繊細な表現が展開される際にしか見つけることができません。

レコーディングの間、特に感動的だったのは、レイニアがフレーズと非フレーズの間の微妙な領域で、どのように前進していったかを聴き手として体験したことでした。常に「何かをする」と「ただ放っておく」の間で、彼のピアノはうまくバランスを取っていたのです。

この曲では、いくつかの例外を除き、実際にはフレーズ指定を行っておらず、音と音のつなぎ目を短くしたり長くしたりすることは自由です。その判断は常にピアニストの手中にあります。 ピアニストは、繊細なフレーズ、音の接続部に生まれるきらめき、ある方向へ進むエネルギーといったものの間で音楽を浮遊させていき、その一方で、ただ音だけが次々と響く状態を保ちます。この絶え間なく繰り返さなければならないピアニスト自身の判断の過程こそが、この長い作品を生き生きとさせている要因の一つなのです。

座間:レイニア、この曲「Pianist, alone (1)」について、あなたのお考えも聞かせていただけますか? 私は聴き手としてこの曲を楽しみますが、ピアニストとしてのあなたの感想も聞いてみたいと思います。

ファン・ハウト:私は、これまで数多くの方法で「Pianist, alone (1)」を演奏したり、聴いたりしてきました。明らかにそこには演奏者としても聴き手としても何らかのプロセスが存在していましたが、それは数学的や論理的なものではなく、あらゆる可能性を順番にチェックしていくようなプロセスではありません。それはむしろ、自然や現実の世界で物事が、まるで無秩序にあらゆる方向へ成長し発展し続けるような状態に似ています。これは、マイケル・ピサロが以前、フィールドレコーディングの魅力を語った時の言葉に似ています。

「私は、構造を持っていることが分かっているけれど、その構造を完全に示すことができないものに興味を引かれてきました (...) フィールドでは、成長が根を暗示しつつも、それらを目に見える形では示さないのです。」(マイケル・ピサロ)

この曲の譜面には、5度と4度のみが登場し、4度を超える進行は一切ありません。それは、荒涼とした希薄な環境を果てしなく歩み続けるようなイメージで進行します。雪の中を歩くような感覚で、足音は環境の音へと溶け込み、時折低いゴングのような打音、繰り返される音符、沈黙、単音、音階、または交替する和音がその音に割り込みます。

このことに関連しますが、私はこの曲をメトロノームに合わせて演奏したり、回数を数えたりしません。再び歩みに例えると、あなたはメトロノームのように機械的に歩いて行くわけではなく、足取りを決定するのはその時の地形、呼吸、そして景色です——私の場合、音とその消えゆく響きに耳を傾けることで、バランスを崩さずに次の歩みへスムーズに移行することを目指して歩んでいます。体は自然とリズムに乗り始め、そのリズムは、一つ一つのステップで音を聴きながら時間軸上でより大きな弧を描くように歩みを調整していくことから生まれるのです。

Picture
ヒルヴェルスム(オランダ)のムジークツェントラム・ファン・デ・オムロップ(MCO)のスタジオ5。「lieues d'ombres」の録音を行うレイニア・ファン・ハウト (2021年7月16-18日)
座間:この3枚組CDは、4年前に録音された3枚組CD『lieues d'ombres』の続編です。 ユルク、あなたは4年前の録音セッションと2024年の今回のセッションの両方に立ち会いましたが、4年前の録音と今回の録音の間に違いは感じましたか?

フライ:私にとって違いはほとんど感じられませんでした。録音は再びオランダのヒルヴェルスムにあるムジークツェントラム・ファン・デ・オムロップ(MCO)で、ただし前回とは異なるホールで、異なるピアノを使用して行われましたが、今回のホールの音響も非常に良好でした。私は3日間のレコーディングに立会いました。これは私の音楽との、そして私の過去との深い対峙でした。
​
録音セッション中は、あちこちで演奏についてのコメントを挟み、時折「このまま続けて問題ないだろうか」と確認したり、細かいニュアンスを指摘したりしました。ただ、私は、ホールに一人だけいる聴き手として、彼の演奏を真剣に聴く責任を感じていました。レイニアがマイクに向かってだけ演奏しているという状況にならないようにです。聴き手がその場にいることにより、レイニアがより自然な演奏ができるということを、経験から知っていたからです。

また、ホールでの実際の音響が録音にどう記録されたかを比較することも私にとって重要なことです。私はまさにホールの観客席の最高の座席から聴いていましたが、マスタリングで仕上がった音を今聴いても、あの時と全く同じように聴こえます。これは決して当然の結果というわけではありません。録音エンジニアのミハ・デ・カンターに高度な技術的知識が求められただけでなく、制作に関わった全員の美的感覚が一致しなければ、このように理想的な成果を達成することは不可能だったはずです。

Picture
ヒルヴェルスム(オランダ)のムジークツェントラム・ファン・デ・オムロップ(MCO)のスタジオ1。「Composer, alone」の録音を行うレイニア・ファン・ハウト(2024年9月2-4日)
座間:レイニア、あなたにとってはどうでしたか? 4年前の録音と今回の録音の間で、心構えや演奏に違いを感じましたか?

ファン・ハウト:いいえ。私にとっては、すべてがひとつの冒険のように感じられました。

座間:長年、あなたはピアニストとして様々な作曲家の作品を数多く演奏してきました。 ユルクのピアノ作品を演奏する際、あなたはどのようなことを目指しているのでしょうか?

ファン・ハウト:ユルクの作品をピアノで演奏する時、私は絵を描いたり、スケッチをしたりするような感覚で表現しています。と言っても、滑らかな線ではなく、また、一つ一つの音はピクセルではなく、謎めいた染みのようなもので、単純に見えるが実は複雑で、記号と輪郭の間を揺れ動くようなものをイメージしています。崩れ去りそうな最後の瞬間にある生きた音の断片、消えゆくもの、消え去りつつあるがそれでも生命力を放つもの——もしその感じをわかってもらえるなら、そんなイメージで演奏しています。
​
Picture
レイニア・ファン・ハウト
座間:ユルク、このレイニアとのコラボレーションについて、他に特に印象に残ったことや感動した点があれば、お聞かせいただけますか?

フライ:レイニアとの出会いは、私の音楽にとって幸運な出来事でした。 彼の身体には音楽的な感情のわずかな動きが即座に反映され、その瞬間にそれが同時に音として現れるのです。
彼の解釈において、脆さと持続性がどのようにバランスを取られているかは驚くべきことです。
素晴らしいです。純粋な音楽的感性そのものです。

また、録音中に彼の演奏を聴いていると、いくつかの嬉しい驚きと発見もありました。例えば、「Klavierstück Arrangement I,II,III」です。 他のピアニストによる過去の録音では、この作品の個々の和音が分離され、モートン・フェルドマンとの類似性が強調されていました。1991 年当時、フェルドマンの影響は依然としてかなり強かったのです。そして、旋律部分は、この作品の中に迷い込んだような、奇妙な間奏のような印象でした。 私自身もそう感じていました。

しかしレイニアは、すべての音を、旋律の弧を描くような形で演奏しました。これは、この時代以降の私の作品を演奏してきた彼の経験にも基づいていると思いますが、それら後期の作品では、メロディの要素がほとんど存在しない場合でも、その存在が感じ取れるようにしてあるのです。彼は、すべての旋律の音と和音を、流れの中で演奏しています。そして、今それを聴くと、そのことがよくわかります。しかし、この曲を作曲した当時の私は、そのような聴き方をしたくなかった、あるいは聴けなかったのです。そのように、古い過去の作品からも新たな発見ができることは私にとって深い喜びであり、その点でも、レイニアに感謝しています。
Picture
Jürg Frey: lieues d'ombres (Reinier van Houdt) (elsewhere 020-3) 2022
Picture
Jürg Frey: Continuité, fragilité, résonance (Quatuor Bozzini / Konus Quartett) (elsewhere 026) 2023
Picture
Jürg Frey - Les Signes Passagers (Keiko Shichijo) (elsewhere 029) 2023
座間:ユルク、過去にelsewhereからリリースしたCDジャケットのいくつかには、あなたの点と線の水彩画を使わせていただきました。今回の3枚組CDジャケットには点の水彩画を、そして前回の『lieues d'ombres』のCDジャケットには別の点の水彩画を使用しました。また、『Continuité, Fragilité, Résonance』と『Les Signes Passagers』のジャケットには線の水彩画を使いました。あなたは長年、水彩画を定期的に描き続けてきたそうですが、水彩画で点と線を描くことに、どのような魅力を感じているのでしょうか?

フライ:点と線の水彩画は、何年も続けています。時には集中して、ほぼ毎日描くこともあれば、数ヶ月間中断することもあります。 手作業の技、集中力、紙との直接的な触れ合い——これらすべてが私にとっては一つの明確な活動として融合しています。 とても基本的な作業です。 修正はできません。今、紙の上で起こっていることがそのまま形になるのです。

スケッチブックの各ページを各々個性のあるページにするためには、水彩画に使う色、密度、パターン、サイズなど、いくつかの正確な判断が必要です。  これは非常に集中した活動です。そして、非常に脆い活動でもあります。

これらの水彩画は一冊ずつのスケッチブックの中で描かれ、ページからページへと連続性をもって続きます。そこには試行錯誤はありません。描かれたものやページ、その推移は、そのままで完璧でなければならないのです。

しかし、単純に言うと、私を魅了するのは、描くというその行為そのものであり、スケッチブックをその絵で満たすことなのです。それは物理的な欲求のようなものですが、私にとっては物理的な領域を遥かに超える行為です。

Picture
Picture
座間:ユルク、これは少し曖昧な質問ですが、この3枚組CDセットはあなたにとってどのような意味がありますか?

フライ:このアルバムは私にとって本当に特別な意味を持っています!

このアルバムが生まれた経緯こそが、私にとって最も印象深いものでした。 企画当初のアイデアの交換、収録曲の選定、スタジオで過ごした時間、編集やミックス、マスタリングに関するやりとり、さらにはこの3枚組CDのパッケージング作りの細部まで——すべてが、このプロジェクトの関係者のネットワークの中で柔軟で刺激的な対話を通じて形作られていきました。その人々の名前はすべて、このアルバムのクレジットに載っています。これがまさに私が望む仕事の仕方なのです!

また、私自身の長期にわたる芸術活動に対する個人的な見解もあります。それは驚きと満足感が混ざり合ったものです。私自身の音楽を通じて、このようなことが起こったこと、そして私の音楽に深く共感し、支持してくれる人々が存在すること——こうしたことは私にとって感謝の念と、大きな心の平安をもたらしています。

このアルバムは、二人の人間による親密な音楽的対話の記録でもあります。 このアルバムの多くの曲は、私がレイニアに出会う前に作曲されたものです。そして、私の音楽に深く没入することができる演奏家がこれらの曲を演奏した際に、どのように響くかということについて、私は当然ながら曖昧なイメージしか持っていませんでした。 私にとって、私の音楽は常に「二つのものが同時に存在するもの」であり、浮遊する音楽であることは明白でした。 レイニアは音楽のバランスを保ちつつ、この音楽を演奏する上ではリスクを伴う極限の状態にあることを常に意識しています。この音楽は、演奏者にとって演奏する要素が非常に少ない音楽ですが、同時に、演奏者の手中に絶対的な何かが宿っているという予感を常に抱かせるものなのです。

座間:レイニア、この3枚組CDセットは、あなたにとってはどのような意味を持っていますか?

ファン・ハウト:私にとって、この3枚組CDは、私が長年培ってきた極限の、実現不可能にも思われるユートピア的なピアノ演奏の最終章といえるものです。これらのユルクの作品の演奏においては、音を力や意志、意図で表現するのではなく、音が自然に、または有機的に現れることを意識しつつ演奏しています。重力を調整するために力を使うこともありますが、音の表現に直接的に力を行使することはありません。それは物理的な行為にすぎず、表現のためのジェスチャーではありません。

現代のピアノ演奏の多くは、デジタル時代の明瞭さ、透明性、完璧さへの執着に強く影響されていると感じます。最もソフトに演奏できるかを競うのではなく、多くの演奏が過剰な表現、速すぎるテンポ、クリアすぎる音を目指すなど、コントロールしすぎた結果として、音がうるさく聴こえてしまいがちです。音が存在するか、存在しないかが大事とされ、その間の想像の余地はほとんどありません。 そうして暗さや曖昧さを避けることが、かえって音を平板に聴こえさせているのです。これは技術的な問題のように聞こえるかもしれませんが、私にとっては、「音の中に聞き取るものに対してどれだけ忠実になれるか」という哲学的な問題なのです。

(2025年7月〜8月のインタビューより)

『Composer, alone』は、スイス人作曲家ユルク・フライによるソロピアノ作品12曲を収めた3枚組CDで、オランダのピアニスト/作曲家レイニア・ファン・ハウトが演奏。これは2022年の3枚組CD『lieues d'ombres』(elsewhere 020-3)の続編であり、フライとファン・ハウトによるelsewhere musicレーベルでの3度目のコラボレーション作品となる。二人は2020年の『l'air, l'instant - deux pianos』(elsewhere 014)で初めてCD制作のコラボをして以来、緊密な関係を築いてきた。

この3枚組アルバムには、1990年から2024年の期間に作曲されたフライのソロピアノ作品が幅広く収録され、最新作のピアノ曲『Composer, alone (1)』と『Composer, alone (2)』も収録。前作の3枚組CD『lieues d'ombres』と合わせて、フライがピアノ曲を通して作曲家としての自身の声(表現)を探求する30年間の軌跡をたどる作品集として、フライの作曲スタイルの変遷を明らかにしつつ、その作品の根底に流れる本質が一貫していることも示唆している。

フライの音楽と深く関わってきたピアニストとして、ファン・ハウトは前作『lieues d'ombres』で示したように、今回の3枚組アルバムでもフライの作曲の奥に隠された微妙なニュアンスを巧みに引き出した。作曲家のビジョンを忠実に守りつつ、ファン・ハウトは過去34年間にわたりフライが作曲した多様なピアノ作品の本質を捉え、そこに隠れた脆さ、温かさ、明晰さを絶妙なバランスで表現することに成功している。
 
収録された全12曲は、2024年9月に3日間にわたり、作曲家の立会いのもと、オランダのヒルヴェルスムにあるムジークツェントラム・ファン・デ・オムロップ(MCO)で録音された。録音とミキシングはミハ・デ・カンター、マスタリングは宇波拓。

アルバムのジャケットはフライの描いた水彩画。​
​
Jürg Frey website
Reinier van Houdt website

Picture

​​*この3枚組CDの事前予約とデジタル音源の購入は elsewhereのサイトとBandcampから。
​​(2025年9月20日にCDリリース予定)

back to top
Q&A interview page top​
Picture
HOME
ABOUT
NEWS
CD
LOSSLESS
HD FLAC
BANDCAMP
ARTISTS
INTERVIEW
REVIEW
CONTACT
​copyright © 2025 elsewhere music  all rights reserved.
  • HOME
  • NEWS
  • ARTISTS / CATALOG
  • CD
  • LOSSLESS
  • HD FLAC
  • Interview
  • REVIEW
    • REVIEW (030-040)
    • REVIEW (020-029)
    • REVIEW (001-019)
  • view from elsewhere (blog)
  • ABOUT
  • CONTACT